1977-1986 新風の時代

新聖堂建設計画は土地を一部売却し、それを建設資金に充てるという計画もあったが、オイルショックに続く不況のあおりでこの計画は中止された。1977年、建設資金の不足分は教区から借り入れることに方針を変更し、荒井司教により承認された。翌1978年1月、聖堂建設着工、同年7月、ダニオン師と信徒の一致と努力による新聖堂が完成し、献堂式が行われた。新聖堂完成の期をもって、15年ぶりにベルギーから再来日されたカンペンハウド師をお迎えし、ダニオン師と交替された。
「感謝のうちに新聖堂を祝った私たちにとって、今最も大切なことは、内的生活の充実でありましょう」。カンペンハウド師の呼びかけで典礼委員会が発足、子供のみことばの祭儀、若人のミサ、奉仕項目が始まり、ボランティア会、宣教委員会なども次々と発足した。カンペンハウド師によって、第2バチカン公会議後の教会刷新をもとに、『司祭に全てを任せるのではなく、司祭と共に信徒が典礼や教会活動に行動的に参加する』という新しい風が吹き込まれた。それ以後、共同体のあり方は大きく変わっていった。
 カンペンハウド師からボンブレッド師に交替された1981年には、教皇ヨハネ・パウロ2世が来日し、東京、広島、長崎を訪問、被爆地広島で『平和アピール』を発表された。磯子教会から数名の信徒が後楽園のミサ奉仕や武道館でのヤング&ポープ大会に参加した。
そして翌1982年、磯子教会は小教区創立25周年を迎えた。


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